コミュ障弾丸ブログ

コミュ障な社会人がコミュ障について語るブログ

コミュ障が人と接する上で必要な、たった一つの心構え

人は一人では生きていけません。

どう足掻いても自分以外の誰かと接しなくてはならないシチュエーションは発生します。

太古の昔から人間が生きていく・繁栄していく過程で衣食住を確保するために、どうしても仲間同士とのコミュニケーションが必要とされました。

これは現代でも変わらず、生きていくためにはお金が必要になり社会に属する上でコミュニケーションが必要となります。

しかし昔と比べて異なるのは、コミュニケーションの難度・煩雑性が増しているという点です。

扱う言葉が増えたことや多様なコミュニティが形成されたこと、他にも様々な要因があると思いますが、人類の進歩に伴い一人一人に求められるコミュ力も高まってきています。

つまり、コミュ障の方(内気・口下手・空気が読めない・友達0...などといった特徴をもっている方)にとってはますます生きづらい世の中になっているということです。

(僕もコミュ障なので、その辛みはひしひしと感じています。。。)

しかしもどかしいことに、コミュニケーション能力は一朝一夕ではなかなか向上することはできません。

そこで今回はコミュニケーションのテクニックや対策などの技術面ではなく、コミュ障の方が人と接する上で大切な心構えに関して書こうと思います。

 

結論

先に結論を書きます。
コミュ障が人と接する上で大切な心構えとは。それは、
己がコミュ障だということを受け入れること
これだけです。
この意識があるだけで、我々コミュ障が抱える問題の7割くらいは解決するのでは?とすら最近思っています。
 
あなたは人と接する際、下記のような思考が根底にありませんか?
  • 相手にコミュ障・口下手な奴だと思われたくない
  • 会話に沈黙が生まれないようにしたい
  • 最低限、嫌われたくない
自分で自分のことを「俺、コミュ障だしなぁ〜」と自虐的に言うのなら特に問題はないでしょう。
けれど、人から「こいつの話、分かりづらいしつまんねぇな。コミュ障かよ。」などと少しでも思われようものなら、それは”死刑宣告”を意味します。
相手にそんなことを微塵も感じさせたくないのです。
だからこそ、必死で言葉を紡ぎ、自分がコミュ障であることをひた隠しにするのです。
 

過去の僕

昔、僕は上記のような思考、つまり相手に"下に見られたくない"という思考で人と接していました。
いやそれどころか、
  • 理路整然とした話し方で、優秀な人と思われたい!
  • 会話を弾ませたい!
  • 好かれたい!
...などという意識の高さでした。
他者とのコミュニケーションを僕はある種の「勝負ごと」のように捉えていて、
相手が僕に関心してくれたら"勝ち"
逆に見下されてしまったら"負け"
そういう戦いをしているのだと錯覚し、
そして僕は常に"勝者"であらねばならない、という志をもっていました。
 
断言します。
この思考は間違いなく地獄へと続いています。
 
まず、そもそも僕は人との対話スキルが低いのです。
直接「お前、口下手やな」と言われたことはないのですが、
  • ボキャブラリー数及び話題提供数が少ない
  • 会話のラリーが続かず一問一答形式になる
  • 相手への返答に時間がかかる
  • 相手の話の意図が汲み取れず的外れなことを言う
  • 時々どもる
  • 声が小さく「ごめんよく聞こえなかった」とよく言われる
こんな調子なので、自分が口下手・コミュ障だということをいやが応にも思い知らされるのです。
自身の脳内では意識高く持っているので、そこに大きなギャップが生まれます。
「内心では上手く話したいのに、実際は口下手」という状態。
この乖離が徐々に心を蝕んでいきます。
 
コミュニケーションをバトル形式と捉えた時点で対話スキル(会話瞬発力、的確な返答率、ボキャブラリー数etc...)が低い僕が圧倒的に不利になるのです。
それは例えて言うならば、
コイキングだけでポケモンバトルを勝ち抜くようなもの。
 
勝率がほぼ0なのです。
ずっと負け続ける勝負をしたいですか?耐えられますか?
当然、そんな勝負はしたくありません。
 
昔熱心に見ていた某卓球アニメにこんなセリフがあります。
「絶対に負けない唯一の方法は戦わないことだ」
 
勝てない勝負はしない。
他者とのコミュニケーションを勝負ごとと捉えていた僕は
負けないために「人と接しない」という結論に至りました。
人を避け続け、その挙句に人との関わり方・話し方が分からなくなり、
こうして一人のコミュ障な社会人が出来上がったわけです。
 

問題は何か?

"勝てない勝負はしない"という考え方自体はとても大事です。
問題はそのアプローチの仕方。
そもそもコミュニケーションを勝負ごとと捉えていたのが最大の過ちです。
別の言い方をすると
己がコミュ障だということを認め、
自分に関心・好感をもってもらうことは諦めることです。
 
...なんだか少し悲しい文言のように感じるかもしれません。
ですがそもそも、
他者が抱く自身に対するイメージというのは基本的にこちらから操作できるものではないのです。
こちらから如何に自分を良く見せようと思っても相手が自分のことをどう思うかは、
その人の過去の経験や価値観などによって異なります。
 
口下手で言葉選びに時間がかかるような人間であった場合、人によって、
単に「こいつ話すの下手だな」と思う人もいれば
「自分もそんなに話すの得意ではないし、何か落ち着く」
と思う人もいます。
中には、口下手であったとしても何かを伝えようとなんとかして言葉を探している姿に好感をもって貰えることもあるのです。
 
最低限のマナーやTPOを弁えた言動・振る舞いは必要にはなりますが、
基本的にはありのままの自分で問題はなく、問題は"その捉え方"
つまりコミュ障・口下手の問題は
そのスキルの低さではなく、"心の有り様"に問題があるのです。
 
等身大超えの己で接しようという過剰な意識
これこそが諸悪の根源です。
 

結局は”嫌われる勇気”をもつこと

コミュニケーションの問題に関しては書籍・サイト・動画など数多くのコンテンツで取り上げられ、その解決に向けたアプローチも多岐に渡っていますが、最終的にはアドラー心理学に落ちつく気がします。
 
この書籍のタイトルを考案された方は素晴らしいです。
アドラー心理学の肝となる部分を、"嫌われる勇気をもて"という、
まさにこの一言で表しています。
 
読んだことがない方はぜひ一度読んでみてください。
過去に読んだことがある方も再読することをお勧めします。
コミュニケーションに不安を抱える全ての方にとってバイブルとなるような本となります。
 
当然、この書籍を読めば万事OK...というわけにはいきませんが、
コミュ障が歩む安寧への道、その最初の一歩として本書籍は大いに役立つことでしょう。
 

最後に

冒頭の方でも書きましたが人と接する際にコミュ障が抱きがちな思考、
これを下記のように変換してみましょう。
 
  • コミュ障・口下手な奴だと思われたくない
 →コミュ障・口下手な奴だと思われたっていいじゃん♪
  • 会話に沈黙が生まれないようにしたい
 →会話に沈黙が生まれたっていいじゃん♪
  • 最低限、嫌われたくない
 →嫌われたっていいじゃん♪
 
このくらいのスタンスで臨みましょう。
 
コミュ力コイキング並みのステータスならバトルはしないこと。
無理してギャラドスへの進化も目指さないこと。
たとえコイキングだとしても
みんなと一緒に静かな川で泳ぐだけなら、優雅な一時を過ごすことができるでしょう?
 
 
ここまでお読み頂きありがとうございました。
本記事が少しでもお役に立つことができましたら嬉しいです。
 
グッドラック!